ルソン島北部への旅 3泊4日  ( 2007年12月7日 )

投稿者: a20e ステアク・エッセイ =67=

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  メトロマニラはきょう12月7日午前現在、まだ雨季が明けきっていなようです。けさも高曇り、いつ雨がぱらつき始めてもおかしくないといった空模様になっています。

  3日日曜日から6日水曜日まで、ルソン島北部の西側をドライヴ旅行してきました。
  訪ねたのはラ・ウニオン州のサン・フェルナンドのビーチ、そこからさらに北に走ってイロコス・スール州のヴィガン、そして帰途に山岳部に入ってベンゲット州のバギオの3個所です。

  日曜日の朝、ありがたいことに、メトロ・マニラの空は快晴でした。
  週日は交通渋滞がいたるところで早朝から見られる首都圏の道路も、車の流れはすこぶる順調で、カロオカン市から北へ伸びる高速有料道路North Luzon Expresswayの入り口までの(運が悪い日なら1時間半ぐらいかかることもある)道のりを30分たらずで行き着きました。
  幸先の良い出だしでした。

  この高速道路はパンパンガ州の(ときどき噴火して近辺住民を苦しめるあのピナトゥボ火山から遠くない)アンヘレス・シティーの少し北までつづいています。全長84kmの(国際的基準に達した、フィリピン随一の)すばらしい道路です。
  そこからは(よく舗装されたり、かなり穴だらけだったりする)一般道路を北上し、タルラック(タルラック州)、ウルダネータ(パンガシナン州)、シソン(同)などの大小の市や町を走りぬけるだけ。自宅を出てからほぼ5時間後には、ビーチ・リゾート・ホテルが幹線道路沿いに点在するブアング(ラ・ウニオン州)に到着しました。

  第一日目の宿は、そのブアングのすぐ北側の市、サン・フェルナンド(の小型機専用の空港のすぐ隣)にある<サンセット・ベイ・ビーチ・リゾート>というホテルと決めていました。
  サン・フェルナンドからの道が分からず時間がかかったものの、とにかくたどり着いたホテルは、アメリカや日本の基準からいえば、ささやかというか、つつましやかというか、とにかくこじんまりとしたものでしたが、まさしくビーチ・ホテル。すぐそばの浜に南シナ海(?)の温かい波がゆったりと打ち寄せては返していました。
  意外だったのは、このホテルのオーナーだという人物が、フィリピンに移住してきて間もないイギリス人だったこと。長年住んだ香港から移住してきたのだということでした。「(フィリピンは)美しい国だから」とその理由を語っていましたよ。
  全14室。宿泊客は、わたしのほかに4、5人。すべてアメリカ人のようでした。

  翌月曜日は3時間あまりかけてイロコス・スール州のヴィガンへ。
  ここは1999年にUNESCOが世界遺産に指定した町です。クリソロゴ・ストリートに<アジアで最もよく保存されたスペイン植民地時代の街並み>が残されています。
  観光用のカレッサ(二輪の馬車)の御者(ドライヴァー)は「バスだとマニラまで9時間かかる」と言っていました。日本からの短期間の旅行者にはちょっと遠すぎるかもしれませんが、長期滞在者には<行ってみる価値あり>の場所の一つだと感じました。
  ちなみに、この町でのカレッサの利用料金は1時間で100ペソ。マニラの観光用カレッサのフッカケ料金に比べると、きわめて(思わず感動してしまうぐらいに)良心的なものでした。

  3日目、マニラへの帰途で立ち寄ったバギオは、日本人にも(比較的に)よく知られた<フィリピンの夏季の首都>です。海抜1400~1500メーターの高地にあって<豊かなフィリピン人の避暑地>になっているわけです。
  バギオ市のロータリー・クラブのリーフレットには<フィリピンで最も清潔で、最も緑が多い、よく都会化した都市の一つ>と紹介してあります。
  観光の中心地は、いまでも、真ん中に(ボート遊びができる)池があるバーンハム公園と、その近くのセッション・ロード、シティー・マーケットといったところのようでしたが、1984年に訪ねたときと比べると、市内には人と車の数がずいぶん増えていました。
  リーフレットにいう<都会化>は(皮肉なことに)混雑という形でいちばん明らかになっているように思えました。

  4日目は早朝にバギオのホテルを出て、一路マニラへ。
  途中に点在する大き目の町でもたいした交通渋滞には出合わず、5時間半ほどで自宅に帰り着きました。
  ありがたいことに、出発前に恐れていた降雨は、マニラまで100kmという辺りまで近づいたころに空の曇が厚くなり、間もなく小雨がウィンドシールドをたたくようになるまで、一度もありませんでした。

  距離でおよそ900KM。運転時間でほぼ18時間のドライヴ旅行でした。
  あちこちで美しい景色を眺めることができたし、フレンドリーな人たちにも多く出会いました。